『あんぱん』第9話 たぶん3時間半か4時間、「歩く嵩」の描写カットが物語のアラをあぶり出す
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【サイゾーオンラインより】
おそらく日本中の視聴者が御免与町(のモデルである御免町)と高知の距離をGoogleMapsで調べてしまったであろう今日のNHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』第9回。ちなみに11.5kmだそうですが、ヤム(阿部サダヲ)が「線路沿いに歩け」と言っていたので後免駅から高知駅のJR土讃線の走行距離を調べてみると10.4kmとなっていました。子どもの足で歩いて3時間半とか4時間くらいですかね。それにしちゃ嵩くん(木村優来)の足腰にダメージはなさそうだし、あっさり着いてしまいました。
以前、『あんぱん』では、のぶちゃん(永瀬ゆずな)を「走る人」と設定したことが人物の描写に幅を生んでいるという話を書きましたが、その意味でもここは「歩く嵩」の描写が欲しかったところだな、と思うんですよ。
汽車に並走していたのぶと、やすやすと汽車に追い抜かれていく嵩。韋駄天と一般人の対比。嵩くんが一般人だからこそ現出する距離の壁。その壁を乗り越える強い意志。その先で出迎える、花のように美しい女の人。そういうのが見られるとよかったなと思ったんですが、まあ尺の問題もあるしな。
そういうわけで、振り返りましょう。
基本的には引き続き「かわいいのでOK」
焼き立てのあんぱんの匂いをすぅと吸い込んだり、3姉妹揃って仏壇にあんぱんをお供えして手を合わせたり、背の順に並んで大きな声で呼び込みをしたり、そりゃ子どもにこういうことをさせたらほっこりしてしまうのはもう生物の本能のようなもので、そうした「ほっこり」を呼ぶ映像を大人たちが寄ってたかって作り上げて、無料で見せてくれているわけですから、基本的には感謝しかないところです。往来で恥ずかしそうに声掛けする妹ちゃんもよかったね。
この「朝田パン」というパン屋のドラマの中での位置づけというものを考えると、その役割は結太郎(加瀬亮)という夫を亡くした妻・羽多子(江口のりこ)の再生なんですよね。夫の生前は石屋に身を寄せつつ、単なる“飯炊き”としてしか機能していなかった羽多子という女性が、自ら手に職をつけ、家族の中で自立を果たしていく。
石屋も釜じい(吉田鋼太郎)は全治3か月だというし、今日の段階でもうちょっと治りかけてたし、3か月後には朝田家はパンを売らなくても石屋の収入だけで食っていけるようになるのでしょう。その家計の足しになることが、羽多子という人の心にどれだけ安寧をもたらすのかという話です。そして、その母の心の再生には、ヒロイン・のぶの行動力とコミュニケーション能力が大きく寄与していた。
幼少期パートにおける朝田家のエピソードは、やりたいことがシンプルでハッキリしていたので、たいへん見やすかったと思います。ヤムの一挙手一投足を注視してみると、こいつ完全出来高制の住み込み従業員みたいになっちゃってるけど、なんでこんなに献身的なんだ? とか、3銭という売価がどういう設定で損益分岐点はどうなってるの? とかいろいろ「?」が頭に浮かぶわけですが、ヤム自身が「そんなのほっとけ」って言いそうだし、まあ別にこいつがいいならいいか、と思わせるだけの説得力が阿部サダヲの芝居にはある。
だから、「のぶが幼少期から他人のモチベーターになりうる人物像であった」ということと、あとは「あんぱんをドラマの土台に置きたい」という、これは作家的な下心でもあると思うけど、その2つがしっかりと伝わってきただけで成功していたと感じます。いちおう今週で幼少期が終わるという前提での話ですけど。
嵩もようわからんけど「かわいいのでOK」?
実質、パン屋の開店で朝田家と朝田のぶについては語り尽くしたということなのでしょう。今日ののぶちゃんは基本「パンが売れない」しか言っていませんが、ちょっと気になるシーンがありました。
嵩くんは自身が母親に会いたいという気持ちと、弟・千尋を母ちゃまに会わせたいという気持ちが重なって、あの別れの日のスケッチを眺めながらシーソーの片方に座っています。
そこに、売れ残りのあんぱん2つを提げたのぶちゃんが現れる。
人間が2人いて、あんぱんが2つあったら、食うと思うじゃんね。あら、食わないのか、からのライスカレー食ってるのか、からの中座して高知に行っちゃうのか、とここから冒頭の「歩く嵩」のシーンがなかったことも含めて、雑に進めたなと感じた部分でした。食事を中座した嵩に千代子は「嵩さん、どこ行くが?」と尋ねますが、後を追うことなく寛と2人でカレーを食べ続けたことになる。子どもが姿を消して食うカレーは美味いか? と思っちゃうよな。
これもヤムのいろんな問題と一緒で、こういう矛盾や描写不足を補って余りある強いシーンが訪れてくれれば気にならないところなんですが、今日の柳井家パートにはそれを潰すほどのシーンが用意されていなかった。やっぱ「歩く嵩」、必要だったと思うわ。ヤムに「その自転車貸して」って言ったのもよくわからんし。
母の家について、格子の向こう側に姿を見せた登美子(松嶋菜々子)の描写はよかったですね。まるで牢屋の中みたい。手に職をつけてイキイキ働く羽多子と、ただ美しいだけで人のやっかいになることでしか生きていけない登美子。2人の女の人生の鮮やかな対比でございました。
(文=どらまっ子AKIちゃん)
おそらく日本中の視聴者が御免与町(のモデルである御免町)と高知の距離をGoogleMapsで調べてしまったであろう今日のNHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』第9回。ちなみに11.5kmだそうですが、ヤム(阿部サダヲ)が「線路沿いに歩け」と言っていたので後免駅から高知駅のJR土讃線の走行距離を調べてみると10.4kmとなっていました。子どもの足で歩いて3時間半とか4時間くらいですかね。それにしちゃ嵩くん(木村優来)の足腰にダメージはなさそうだし、あっさり着いてしまいました。
以前、『あんぱん』では、のぶちゃん(永瀬ゆずな)を「走る人」と設定したことが人物の描写に幅を生んでいるという話を書きましたが、その意味でもここは「歩く嵩」の描写が欲しかったところだな、と思うんですよ。
汽車に並走していたのぶと、やすやすと汽車に追い抜かれていく嵩。韋駄天と一般人の対比。嵩くんが一般人だからこそ現出する距離の壁。その壁を乗り越える強い意志。その先で出迎える、花のように美しい女の人。そういうのが見られるとよかったなと思ったんですが、まあ尺の問題もあるしな。
そういうわけで、振り返りましょう。
基本的には引き続き「かわいいのでOK」
焼き立てのあんぱんの匂いをすぅと吸い込んだり、3姉妹揃って仏壇にあんぱんをお供えして手を合わせたり、背の順に並んで大きな声で呼び込みをしたり、そりゃ子どもにこういうことをさせたらほっこりしてしまうのはもう生物の本能のようなもので、そうした「ほっこり」を呼ぶ映像を大人たちが寄ってたかって作り上げて、無料で見せてくれているわけですから、基本的には感謝しかないところです。往来で恥ずかしそうに声掛けする妹ちゃんもよかったね。
この「朝田パン」というパン屋のドラマの中での位置づけというものを考えると、その役割は結太郎(加瀬亮)という夫を亡くした妻・羽多子(江口のりこ)の再生なんですよね。夫の生前は石屋に身を寄せつつ、単なる“飯炊き”としてしか機能していなかった羽多子という女性が、自ら手に職をつけ、家族の中で自立を果たしていく。
石屋も釜じい(吉田鋼太郎)は全治3か月だというし、今日の段階でもうちょっと治りかけてたし、3か月後には朝田家はパンを売らなくても石屋の収入だけで食っていけるようになるのでしょう。その家計の足しになることが、羽多子という人の心にどれだけ安寧をもたらすのかという話です。そして、その母の心の再生には、ヒロイン・のぶの行動力とコミュニケーション能力が大きく寄与していた。
幼少期パートにおける朝田家のエピソードは、やりたいことがシンプルでハッキリしていたので、たいへん見やすかったと思います。ヤムの一挙手一投足を注視してみると、こいつ完全出来高制の住み込み従業員みたいになっちゃってるけど、なんでこんなに献身的なんだ? とか、3銭という売価がどういう設定で損益分岐点はどうなってるの? とかいろいろ「?」が頭に浮かぶわけですが、ヤム自身が「そんなのほっとけ」って言いそうだし、まあ別にこいつがいいならいいか、と思わせるだけの説得力が阿部サダヲの芝居にはある。
だから、「のぶが幼少期から他人のモチベーターになりうる人物像であった」ということと、あとは「あんぱんをドラマの土台に置きたい」という、これは作家的な下心でもあると思うけど、その2つがしっかりと伝わってきただけで成功していたと感じます。いちおう今週で幼少期が終わるという前提での話ですけど。
嵩もようわからんけど「かわいいのでOK」?
実質、パン屋の開店で朝田家と朝田のぶについては語り尽くしたということなのでしょう。今日ののぶちゃんは基本「パンが売れない」しか言っていませんが、ちょっと気になるシーンがありました。
嵩くんは自身が母親に会いたいという気持ちと、弟・千尋を母ちゃまに会わせたいという気持ちが重なって、あの別れの日のスケッチを眺めながらシーソーの片方に座っています。
そこに、売れ残りのあんぱん2つを提げたのぶちゃんが現れる。
人間が2人いて、あんぱんが2つあったら、食うと思うじゃんね。あら、食わないのか、からのライスカレー食ってるのか、からの中座して高知に行っちゃうのか、とここから冒頭の「歩く嵩」のシーンがなかったことも含めて、雑に進めたなと感じた部分でした。食事を中座した嵩に千代子は「嵩さん、どこ行くが?」と尋ねますが、後を追うことなく寛と2人でカレーを食べ続けたことになる。子どもが姿を消して食うカレーは美味いか? と思っちゃうよな。
これもヤムのいろんな問題と一緒で、こういう矛盾や描写不足を補って余りある強いシーンが訪れてくれれば気にならないところなんですが、今日の柳井家パートにはそれを潰すほどのシーンが用意されていなかった。やっぱ「歩く嵩」、必要だったと思うわ。ヤムに「その自転車貸して」って言ったのもよくわからんし。
母の家について、格子の向こう側に姿を見せた登美子(松嶋菜々子)の描写はよかったですね。まるで牢屋の中みたい。手に職をつけてイキイキ働く羽多子と、ただ美しいだけで人のやっかいになることでしか生きていけない登美子。2人の女の人生の鮮やかな対比でございました。
(文=どらまっ子AKIちゃん)