『おむすび』第124回 いよいよ「標準医療の否定」を明確に実行してきた やめてほしい

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サイゾーオンラインより】
 今日含めてあと2回。最終週に入って毎日あらゆる角度から過去イチのヤバさを更新していると昨日書いたけれども、いやぁ今日は最強。最強です。全方位的に毒という毒をまき散らすモンスタードラマとなりました。これ、ホントに放送されたんだよな。ちょっとまだ信じられないわ。クラクラする。ギョエェ……。
 NHK朝の連続テレビ小説『おむすび』ラス前の第124回、振り返りましょう。
医者の無能化は医療の無能化ですよ
 昨日、このドラマが標準医療を軽視していることについて問題視するレビューを書きましたが、今日は「軽視」から一歩進んで明確に「否定」してきましたね。
 主治医の井上は、高度の栄養不良状態にある丸尾の手術を強行するという。その判断が誤りであるとして、結さん(橋本環奈)たちNSTは手術の延期を求めます。
 ここで行われたのは、まずは点滴という医療行為の無効化です。「丸尾はどうせ食わない」という井上の言い方は荒っぽいものでしたが、現に食ってない丸尾に高カロリーの点滴を入れるという処置をしていました。なぜなら丸尾は若く、大腸がんのステージIIIもしくはIV見込みで、早急な手術が必要だと判断したからです。
 その判断のもとで点滴を入れているのに「高度の栄養不良状態にある」、つまり主治医が処方した点滴には「効果がなかった」と、このドラマは結論付けているわけです。
 口からモノを食ったほうが幸せだ、心も豊かになる。管理栄養士を主人公としたドラマで、そうしたメッセージを提示したくなる気持ちはよくわかります。そのメッセージの根拠として「だって点滴って味気ないじゃん」「刺したら痛いじゃん」くらいだったら、全然許せるんです。だけど、「点滴を打っても人間は高度の栄養不良状態から回復できない」としてしまうのは、これはダメなんです。「経口で食事ができない人間は全員死ぬ」と言っているのと一緒なんです。それはウソなんです。口からモノを食えない病人に対する脅迫なんですよ。
 以上が点滴という医療行為の無効化についての問題。問題というか、暴挙、冒涜ですな。
 次に、医師という職業について。
 現代において、生きた人間に薬物を投与して意識不明の状態に陥らせ、その人間の腹を刃物で切り開いて臓物の一部を引きずり出すことを許されている職業は医師だけです。外科手術というのは、かくもおぞましい行為なわけです。そんなおぞましい行為がなぜ法的に許されているかといえば、その人間を生き永らえさせる上で有効であると科学的に証明されているからです。その証明は、たくさんの人間の命の犠牲の上に成り立っています。
 当然、この行為には大きな責任が伴うことになります。その責任の担い手である医師には高度な教育と倫理が求められる。人体という複雑怪奇な有機的構造物に対する総合的な理解が不可欠ですし、その資質が必要充分であることの担保として医師免許というものが存在するわけです。医師免許を取得することによって、その人には人の腹を切る権利が与えられる。その権利の中には、「いつ切るかの判断」も含まれることになります。
 医師の責任、命を預かる責任というのは、そういう類のものです。
 そうして医師が責任を持って判断した「いつ切るか」のタイミングを、誤っていると明言したのが今日の『おむすび』でした。栄養士の立場から疑義を申し立てるのではなく、「誤りだ」というジャッジメントを行ったのです。管理栄養士である主人公の価値を上げるために事態を単純化し、「医師の負け、結さんの勝ち」をやったのです。
 そりゃ医師だって人間ですから、判断を誤ることも少なからずあるでしょう。患者が主治医の方針に納得できなければ堂々とセカンドオピニオンを求めればいい。『おむすび』が卑劣なのは、インフォームドコンセントによる患者の同意を描かなかったことと、井上がなぜ「早急な手術」に踏み切ったかという理由を説明せず「暴走する身勝手な若手」というイメージだけを植え付けたこと、それに加えて前述した「点滴の無効化」というファンタジーを「結さんの勝ち」の根拠にしていることです。点滴と経口食を安易に対立させ、「点滴には効果がない」というウソを混ぜることで結さん側の主張を通してしまった。医師という存在を、「いつ切るべきか判断できない者」として貶めてしまった。管理栄養士を「医師より人体について理解している者」であると位置づけた。
『おむすび』というドラマは、いつだって常識と常識を正当に評価しながら対立させることができません。どちらかを無価値化、無効化、無能化することでしか結論を導けない。それによってどんな影響が現れるのか考慮できていない。というより、自分たちが何をやらかしているのかも自覚していないでしょう。
 大衆娯楽が医療を扱うとき、もっとも慎重にならなければいけない、というか絶対にやってはいけないのが、標準医療の否定なんです。特にがんに関していえば、世の中にはインチキ代替医療で一儲けしてやろうというヤカラが手ぐすねを引いています。その片棒を担いではいけない。あくまで常識の中で物語を構築しなければいけない。それは大衆娯楽の送り手としての最低限求められるべき資質です。
 今回放送された「点滴なんて意味ないよ」「外科医ってのは手術に耐えられないような低栄養の患者でも平気で切ろうとするよ」というメッセージは、明確に代替医療への誘導を意味しています。インチキ連中に「だってNHKでもやってたろ」と言えるだけの根拠を与えています。
 今回『おむすび』が結さんの“活躍”や“勝利”と引き換えに蔑ろにしたのは、丸尾の命ではありません。実際に、その絶望から標準医療に疑問を感じ始めたがん患者の命です。例えば入院中のがん患者の家族が病院のロビーで今日の『おむすび』を見て、「やっぱり点滴は無意味だし、外科医は信用できない」と考える可能性が、大いにあり得るんです。
 もう一度、自分たちが何を作って放送したのか、よく考えてほしい。
NSTは万能なヒーローじゃない
 丸尾の件の倫理的な問題がクソデカすぎてその後の茶番についてはもうどうでもいいんですが、なんだあの結さんの演説は。
「私は今まで、たくさんの患者さんにお会いしてきました」じゃねーんだよ。たかが10年で何を言ってんだよ。
「食べることは生きることだけでなく、その方の家族や未来にもつながっている」のはいいよ。おまえがやってきたのは患者好みの味を柿沼に特注で作らせることくらいだったけど、それはもういい。その話からNSTの必要性にはつながらないんだよ。
「担当の先生だけでなく、看護師、薬剤師、言語聴覚士、管理栄養士、さまざまな職種の人が集まり、その専門性を発揮することで」ってなんだよ。NSTがあろうがなかろうが、全部の病院がそうやってるよ。病院って、そうやって回ってんだよ。それが現代医療だよ。
『おむすび』は当初からずっとNSTと主治医を対立させてきたわけだけど、主治医と連携しないで勝手に動き出すのがNSTだとするなら、そんなのは害悪でしかないよ。
「患者さんの未来を守るため、NSTの活動再開、ご検討よろしくお願いします」週イチ活動のNSTがなかったら患者の未来を守れないと思ってるなら今すぐ医療従事者辞めろバカ迷惑だ。
 あのね、NSTがないよりあったほうがいいことはたぶん間違いないんだと思うよ。ただし、ろくにNST内での連携、NSTと主治医との連携を描かず、主人公のスタンドプレーだけを描いてきたドラマが最終週になってちょちょっと「これがNSTでござい」とやって、それでもって医療にとってNSTは絶対不可欠であると主張するのは、これは究極のご都合主義なんですよ。しかもその「ご都合」が物語を帰結させるための「ご都合」ではなく、結さんアゲのためだけの「ご都合」であることが、もうめちゃくちゃ気味が悪いんだよ。おまえらも拍手してんじゃないよ。水素水飲ますぞ。
アユの件もあった
 もうめんどくせーな。
「反抗……?」じゃないんだよ。反抗くらいするだろ。そんなことも考えてなかったのかよ。ハムスター飼う程度の覚悟で未成年後見人とか言ってんじゃないよ。
 これ、たぶん明日の最終回で結さんに解決させるために、例によってアユの無能化、無効化が行われているわけですが、コンビニ編でなっちゃんがやられた「能力の無効化」より今回の「覚悟の無効化」のほうがよっぽど始末が悪いからな。結果、『おむすび』に出てきたヤツは全員バカだから全員大嫌いってなっちゃうからな。
 あと詩ちゃんはアユが好きなのであって、結とか翔也とか関係ないからな。勝手に「受け入れる側」になってんじゃないよ気持ちわりーな。
 というわけで、泣いても笑っても明日は最終回。もう一度言っとくけど、『おむすび』を見ていて気持ちよく泣いたり笑ったりしたことは、一切ありませんでした!
(文=どらまっ子AKIちゃん)
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