天皇陛下が元日の午前5時から行う“秘密の儀式”とは? 皇室のお正月
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歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な天皇家のエピソードを教えてもらいます!
※2020年1月11日公開の記事を再編集しています。
目次
・天皇陛下が元日の午前5時から行う儀式とは?
・明治時代のお正月、皇后のドレスがゴージャス!
・女官もゴージャスに正装、化粧はザツ?
・学習院の少年6人による「御裳捧持(おんもほうじ)」とは?
天皇陛下が元日の午前5時から行う儀式とは?
――皇居の一般参賀は今年も多くの人で賑わいました。お正月は、皇族の方々のお姿を見る機会が多くありますよね。最近は、皇室関係の特番もなぜか増えていますし。
堀江宏樹(以下、堀江) 皇室の方々には、晴れ晴れとしたオーラがありますよね。だから「お正月の顔」にふさわしいのかも。ちなみに、1月2日に皇居で行われた「新年一般参賀」は、第二次世界大戦後の1948年(昭和23年)から始まった新しい皇室行事で、特別な事件や事故などの事情がない限り、毎年行われているようですね。
お正月の天皇陛下は、本当にお忙しく過ごされているかと思いますが、これって伝統的なことなんですね。天皇陛下は元日も午前5時くらいから、平安時代から続く「四方拝(しほうはい)」と呼ばれる、いわば“秘密の儀式”を執り行われておいでです。
――「四方拝」ですか。一般的には聞き慣れない名前かと。
堀江 明治時代以降、宮中にいた女官の回顧録にも頻出するのですが、内容についての記述はゼロ。辞書には「天皇が元日の朝、天地四方(など)を拝する儀式」(出展:『日本大百科全書』小学館)とありますが、詳細は口外されることがなくて不明。
江戸時代以前は公家の屋敷などでも行われていたようですが、公式に現在も続いているのは、天皇家だけのようですね。
時代や資料によって開始時間は異なりますが、だいたい午前4時~午前5時半には始まるようです。儀式内容を推理すると、新年を迎えた世界に、天皇が日本人代表として「今年もよろしくおねがいします」というごあいさつをしているのではないかと。八百万(やおよろず)の神様たちに、「今年は災厄が起こらないように」と祈るイメージで間違えてはいないと思われます。
明治時代のお正月、皇后のドレスがゴージャス!
――明治時代のお正月、天皇皇后両陛下は、伝統的な装束姿だったのでしょうか?
堀江 例の「四方拝」の儀式の時、天皇陛下は天皇しか着ることのできない「黄櫨染(こうろぜん)」という色の束帯をお召しだそうです。しかし、臣下の前に姿を現すとなると、最初から両陛下ともに“洋装”なんですね。「文明開化」した明治時代、古くから伝わる伝統的な朝廷装束について実は否定的。同時代にヨーロッパで使用されていた宮廷服の方が、重視されていたことは確かなんです。
天皇陛下は記録によれば「大元帥の大礼服」。わかりやすくいえば、明治天皇の御真影として知られている、あの絵のようなお姿だったそうです。ちなみに大礼服とは、最高の正装という意味。
皇后陛下も「マント・ド・クール」と呼ばれる、ドレスを大礼服として着ておられました。現代の女性皇族の最高の正装は「ローブ・デコルテ」ですが、「マント・ド・クール」は、何メートルにも及ぶ長い裾を引きずった、さらにゴージャスなデザインのドレスですね。
こちらの著書『明治150年記念 華ひらく皇室文化 −明治宮廷を彩る技と美−』(青幻舎)の表紙中央のドレスが、明治天皇の皇后・昭憲皇后が1912年(明治45年)の新年に着用なさったと伝えられる「マント・ド・クール」です。
当時、日本の刺繍は世界最高峰の技術として知られており、このドレスにも菊の花々の刺繍がふんだんにあしらわれています。
この本には「糸菊」のデザインだと解説されていますが、本当は「奥州菊」と言うべきですね。江戸時代に上方(関西)で作られ、東北地方で発達した品種の菊です。いわば和洋折衷的なデザインのドレスなんですが、昭憲皇后が当時の日本と世界を結ぶ存在だったことを感じられます。
また、ダイアモンドのついたティアラやネックレス、腕輪などをキラキラと輝かせておられる皇后のお姿は、女官たちの心をそれはときめかせました。
女官もゴージャスに正装、化粧はザツ?
――では、そんな女官たちはどんな衣服を着用していたのですか?
堀江 お正月は女官たちも朝から洋装でドレス姿だそうです。みなが揃って、新年を祝う朝の御膳をいただくのですが、これが和食なんですね(笑)。詳細は残念ながら残されていませんが、普段よりも皿数が多く豪華でした。
朝から日本酒が出たり、甘く煮たゴボウ、白味噌を焼いたお餅で挟んだ伝統的なお菓子「お焼がちん」が出たそうです。ドレス姿でお餅を食べている姿って、想像したら微笑ましいですね。
そして、朝の御膳が終わると、“女官長”など身分の高い職員たちが、お祝いの言葉を申し上げるため天皇皇后両陛下の前に、整然と一列に並びました。 ――天皇皇后両陛下の前でごあいさつって、なんだか緊張しちゃいそう……。
堀江 ごあいさつの内容ですが、「御機嫌よう、いよいよ(両陛下が)お揃い遊ばしまして、何の何の申し分さまもあらせられず、ご機嫌よく成らせられます御事、ありがたくかたじけなく存じ上げます」というもの。意訳すると「両陛下や皆様がお正月を何の問題もなく、ご機嫌よくお過ごしになられていること、これって本当にありがたく幸せなことですよね」という感じかな。
実は上のあいさつは、女官同士で交わした新年のあいさつの一部。しかし、高位の女官が両陛下にするごあいさつも同じようなものではないかと思われます。NHKの連続テレビ小説『花子とアン』で連発していた「ごきげんよう~」のオリジナルといってよいかな。覚えてる方、いらっしゃるといいけど。明治天皇は儀式の進行が滞ると、みるみる不機嫌になったそうです(笑)。
さらに面白いのが、新年ということで、よりゴージャスに正装している女官の化粧は、普段よりザツになりがちだったということ。当時の宮中は、電灯が使える部屋も限られており、女官たちは朝4時~5時くらいには起きて、薄暗い灯火の下ですばやく身支度をしなくてはなりません。
だから女官のお正月のお化粧は、普段よりも粗くなりがちで、明るくなってからお互いの化粧がヘンなことに気づき、笑いあったりしていたとか。また、朝からお酒が出るので、ついつい酔っ払った女官同士でひと悶着あったりもしたそうです。
学習院の少年6人による「御裳捧持(おんもほうじ)」とは?
――戦前の宮中って、もっとピリピリしてるのかと思ったら、意外に和やかな雰囲気なんですね。
堀江 天皇・皇后両陛下を中心とした「大家族」みたいな、ほのぼのとした雰囲気が宮中に漂っていたようです。こうした「内輪」での新年のあいさつが終わると、次は外国の公使や、政治家たちに天皇皇后両陛下は謁見するべく、正殿に向かわれたとのことです。
皇后陛下の「マント・ド・クール」の裾は何メートルもあるので、その裾を学習院に通っている学生の中から選ばれた、特にかわいい6人の少年たちが捧げ持ったそうです。
彼らの役職は「御裳捧持(おんもほうじ)」といい、紺のビロウドの制服を着ていました。半ズボンに白いタイツ、そして帽子といった装いで、『宮中五十年』 (講談社)という著書の表紙の少年たちが、まさに「御裳捧持」です。
――本当に、選ばれし雲の上の存在というか、華麗なる世界ですね。
堀江 うっとりしちゃいますよね~。戦前の女官をはじめ宮中の職員たちは、華族など選ばれた人たちだけ。一般参賀はまだありませんから、庶民が天皇皇后両陛下に新年のごあいさつをできる機会は限られており、新年に和歌を作ってお送りする程度でした。
現在でも「歌会始」では、お題が毎年発表され、さまざまな歌詠みの方々のお歌が集まりますが、これは1874年(明治7年)以降の伝統です。
さて、このような宮中生活を知るについては、良い本があります。明治天皇と昭憲皇太后に仕えた女官・山川三千子(旧姓・久世三千子)さんという女性の手記が『女官 明治宮中出仕の記』(講談社)というタイトルで文庫化されています。
山川さんは女官として宮中にお勤めになる時、「どんな些細な事柄も、親兄弟にさえ話してはならないのですよ」と先輩女官から教えられたそうなのですが、何か思うことがあったらしく、1960年には『女官』と題した書籍を出版なさいました(笑)。
サイゾーウーマンの読者には「女官」という存在に興味がある方が多いようですね。今回みたいに、ほのぼのとしているだけではすまない女官生活、“女の園”のウラ事情についても触れられているので、次回からこれをもとに少しずつお話できるとよいな、と考えています。本年も何卒、よろしくお願いいたします。
※2020年1月11日公開の記事を再編集しています。
目次
・天皇陛下が元日の午前5時から行う儀式とは?
・明治時代のお正月、皇后のドレスがゴージャス!
・女官もゴージャスに正装、化粧はザツ?
・学習院の少年6人による「御裳捧持(おんもほうじ)」とは?
天皇陛下が元日の午前5時から行う儀式とは?
――皇居の一般参賀は今年も多くの人で賑わいました。お正月は、皇族の方々のお姿を見る機会が多くありますよね。最近は、皇室関係の特番もなぜか増えていますし。
堀江宏樹(以下、堀江) 皇室の方々には、晴れ晴れとしたオーラがありますよね。だから「お正月の顔」にふさわしいのかも。ちなみに、1月2日に皇居で行われた「新年一般参賀」は、第二次世界大戦後の1948年(昭和23年)から始まった新しい皇室行事で、特別な事件や事故などの事情がない限り、毎年行われているようですね。
お正月の天皇陛下は、本当にお忙しく過ごされているかと思いますが、これって伝統的なことなんですね。天皇陛下は元日も午前5時くらいから、平安時代から続く「四方拝(しほうはい)」と呼ばれる、いわば“秘密の儀式”を執り行われておいでです。
――「四方拝」ですか。一般的には聞き慣れない名前かと。
堀江 明治時代以降、宮中にいた女官の回顧録にも頻出するのですが、内容についての記述はゼロ。辞書には「天皇が元日の朝、天地四方(など)を拝する儀式」(出展:『日本大百科全書』小学館)とありますが、詳細は口外されることがなくて不明。
江戸時代以前は公家の屋敷などでも行われていたようですが、公式に現在も続いているのは、天皇家だけのようですね。
時代や資料によって開始時間は異なりますが、だいたい午前4時~午前5時半には始まるようです。儀式内容を推理すると、新年を迎えた世界に、天皇が日本人代表として「今年もよろしくおねがいします」というごあいさつをしているのではないかと。八百万(やおよろず)の神様たちに、「今年は災厄が起こらないように」と祈るイメージで間違えてはいないと思われます。
明治時代のお正月、皇后のドレスがゴージャス!
――明治時代のお正月、天皇皇后両陛下は、伝統的な装束姿だったのでしょうか?
堀江 例の「四方拝」の儀式の時、天皇陛下は天皇しか着ることのできない「黄櫨染(こうろぜん)」という色の束帯をお召しだそうです。しかし、臣下の前に姿を現すとなると、最初から両陛下ともに“洋装”なんですね。「文明開化」した明治時代、古くから伝わる伝統的な朝廷装束について実は否定的。同時代にヨーロッパで使用されていた宮廷服の方が、重視されていたことは確かなんです。
天皇陛下は記録によれば「大元帥の大礼服」。わかりやすくいえば、明治天皇の御真影として知られている、あの絵のようなお姿だったそうです。ちなみに大礼服とは、最高の正装という意味。
皇后陛下も「マント・ド・クール」と呼ばれる、ドレスを大礼服として着ておられました。現代の女性皇族の最高の正装は「ローブ・デコルテ」ですが、「マント・ド・クール」は、何メートルにも及ぶ長い裾を引きずった、さらにゴージャスなデザインのドレスですね。
こちらの著書『明治150年記念 華ひらく皇室文化 −明治宮廷を彩る技と美−』(青幻舎)の表紙中央のドレスが、明治天皇の皇后・昭憲皇后が1912年(明治45年)の新年に着用なさったと伝えられる「マント・ド・クール」です。
当時、日本の刺繍は世界最高峰の技術として知られており、このドレスにも菊の花々の刺繍がふんだんにあしらわれています。
この本には「糸菊」のデザインだと解説されていますが、本当は「奥州菊」と言うべきですね。江戸時代に上方(関西)で作られ、東北地方で発達した品種の菊です。いわば和洋折衷的なデザインのドレスなんですが、昭憲皇后が当時の日本と世界を結ぶ存在だったことを感じられます。
また、ダイアモンドのついたティアラやネックレス、腕輪などをキラキラと輝かせておられる皇后のお姿は、女官たちの心をそれはときめかせました。
女官もゴージャスに正装、化粧はザツ?
――では、そんな女官たちはどんな衣服を着用していたのですか?
堀江 お正月は女官たちも朝から洋装でドレス姿だそうです。みなが揃って、新年を祝う朝の御膳をいただくのですが、これが和食なんですね(笑)。詳細は残念ながら残されていませんが、普段よりも皿数が多く豪華でした。
朝から日本酒が出たり、甘く煮たゴボウ、白味噌を焼いたお餅で挟んだ伝統的なお菓子「お焼がちん」が出たそうです。ドレス姿でお餅を食べている姿って、想像したら微笑ましいですね。
そして、朝の御膳が終わると、“女官長”など身分の高い職員たちが、お祝いの言葉を申し上げるため天皇皇后両陛下の前に、整然と一列に並びました。 ――天皇皇后両陛下の前でごあいさつって、なんだか緊張しちゃいそう……。
堀江 ごあいさつの内容ですが、「御機嫌よう、いよいよ(両陛下が)お揃い遊ばしまして、何の何の申し分さまもあらせられず、ご機嫌よく成らせられます御事、ありがたくかたじけなく存じ上げます」というもの。意訳すると「両陛下や皆様がお正月を何の問題もなく、ご機嫌よくお過ごしになられていること、これって本当にありがたく幸せなことですよね」という感じかな。
実は上のあいさつは、女官同士で交わした新年のあいさつの一部。しかし、高位の女官が両陛下にするごあいさつも同じようなものではないかと思われます。NHKの連続テレビ小説『花子とアン』で連発していた「ごきげんよう~」のオリジナルといってよいかな。覚えてる方、いらっしゃるといいけど。明治天皇は儀式の進行が滞ると、みるみる不機嫌になったそうです(笑)。
さらに面白いのが、新年ということで、よりゴージャスに正装している女官の化粧は、普段よりザツになりがちだったということ。当時の宮中は、電灯が使える部屋も限られており、女官たちは朝4時~5時くらいには起きて、薄暗い灯火の下ですばやく身支度をしなくてはなりません。
だから女官のお正月のお化粧は、普段よりも粗くなりがちで、明るくなってからお互いの化粧がヘンなことに気づき、笑いあったりしていたとか。また、朝からお酒が出るので、ついつい酔っ払った女官同士でひと悶着あったりもしたそうです。
学習院の少年6人による「御裳捧持(おんもほうじ)」とは?
――戦前の宮中って、もっとピリピリしてるのかと思ったら、意外に和やかな雰囲気なんですね。
堀江 天皇・皇后両陛下を中心とした「大家族」みたいな、ほのぼのとした雰囲気が宮中に漂っていたようです。こうした「内輪」での新年のあいさつが終わると、次は外国の公使や、政治家たちに天皇皇后両陛下は謁見するべく、正殿に向かわれたとのことです。
皇后陛下の「マント・ド・クール」の裾は何メートルもあるので、その裾を学習院に通っている学生の中から選ばれた、特にかわいい6人の少年たちが捧げ持ったそうです。
彼らの役職は「御裳捧持(おんもほうじ)」といい、紺のビロウドの制服を着ていました。半ズボンに白いタイツ、そして帽子といった装いで、『宮中五十年』 (講談社)という著書の表紙の少年たちが、まさに「御裳捧持」です。
――本当に、選ばれし雲の上の存在というか、華麗なる世界ですね。
堀江 うっとりしちゃいますよね~。戦前の女官をはじめ宮中の職員たちは、華族など選ばれた人たちだけ。一般参賀はまだありませんから、庶民が天皇皇后両陛下に新年のごあいさつをできる機会は限られており、新年に和歌を作ってお送りする程度でした。
現在でも「歌会始」では、お題が毎年発表され、さまざまな歌詠みの方々のお歌が集まりますが、これは1874年(明治7年)以降の伝統です。
さて、このような宮中生活を知るについては、良い本があります。明治天皇と昭憲皇太后に仕えた女官・山川三千子(旧姓・久世三千子)さんという女性の手記が『女官 明治宮中出仕の記』(講談社)というタイトルで文庫化されています。
山川さんは女官として宮中にお勤めになる時、「どんな些細な事柄も、親兄弟にさえ話してはならないのですよ」と先輩女官から教えられたそうなのですが、何か思うことがあったらしく、1960年には『女官』と題した書籍を出版なさいました(笑)。
サイゾーウーマンの読者には「女官」という存在に興味がある方が多いようですね。今回みたいに、ほのぼのとしているだけではすまない女官生活、“女の園”のウラ事情についても触れられているので、次回からこれをもとに少しずつお話できるとよいな、と考えています。本年も何卒、よろしくお願いいたします。