【結婚願望が迷子です】「家族の愛を知るために父親とサシ飲みに行ってみた~」
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みなさん、こんにちは。己の結婚願望が見つからなさすぎて、もはや最寄りの交番に迷子届けを出したい衝動にかられている元キャバ嬢ライターのすずや鈴音です。
さて、前回もお伝えした通り、私の結婚願望が迷子であるのには育ってきた家庭環境、そして幼少期の両親との関係が関わっているのではないかと思い始めた次第です。
もしかすると私は、ごく普通の家庭で育ったにも関わらず、「家族って素晴らしい」という思い出が一切ないため、結婚や出産を通じて自分の家庭をつくることを躊躇しているのかもしれません。
それなら忘れているであろう幼少期の記憶を呼び覚まそう!そう決意した私は父親と久しぶりにサシ飲みに行くことを決意したのであります。
◆適当親父と自己中娘、不安だらけのサシ飲み開始
始めに誤解がないようにご説明させていただきますと、我が家はお酒が飲めない下戸体質です。酒好きなのは父親と私だけ。そのため今回は母親不参加につき、父親と私ふたりのサシ飲みとなったわけです。
とはいえ父親とふたりきりで飲むのは約半年ぶり。無駄に変な緊張感を抱きつつも、仕事終わりの父親と合流した私は昔から行きつけの地元の居酒屋へと向かったのでした。
「とりあえず生ふたつ」と注文をした後、静かに乾杯。……が、特に話すこともなく無言で飲み続ける父と娘。
それもそのはず。父親も私も生粋の“ひとり飲み大好き人間”であるため、たまに人と飲むとどうしていいのかわからないのです。キャバ嬢時代は仕事だからと割り切って会話もしていましたが、これがプライベートとなるとダメダメなんです。
また私たち親子は酒の場での真面目な話をとにかく嫌います。誰かが仕事論や人生論を熱く語り始めた日には、「やめてくれ、せっかくのうまい酒がまずくなる!」と思わず叫びそうになります。基本的に酒の席ではアホな話しかしたくないのです。
実際、この日もようやく父親が話し始めたと思ったら、最初に彼の口から飛び出た言葉が「この間のG1お前買った?ワシ万馬券当てたで」という競馬自慢でした。
「こんな適当親父とのさし飲みで幼少期の頃の話など聞きだせるのか……」
店に入って約5分。すでに私は漠然とした不安を抱き始めていたのでした。
◆まさかの幼少期エピソードが発覚!
とはいえ酒が進むと父親もそれなりに饒舌になり、聞いてもいないことをひとりべらべらと話し始めてきました。まあ、私もそれなりに酔っていたので父親が何を話していたかはほとんど覚えていないんですけどね。すまん、親父。
そして入店から一時間ちょっと。私は思いきって父親の前で幼少期の話を切り出してみました。
「私ってほんまブサイクな子どもやったよな」
……おそらく、今ほとんどの方が「お前何言ってんだ」と思われたことでしょう。しかし本当なのです。私は家族や親戚、近所の方からブサイクな子だと言われて育ってきたのです。祖母に至っては「ピンクの服がこんなに似合わない女の子も珍しい」と逆に感心していたくらいですから。
今思えば、私が自分をすぐに卑下し、コンプレックスの塊で生きてきたのにはこの出来事も多少は関係していたのかもしれません。
そんな我が家の鉄板ネタ「私はブサイクだった」話を切り出すと、すかさず父親も「まあ……かわいくはなかったよな」としみじみ語り始めました。自分で聞いておきながらなんですが、初めて実の父をビールジョッキで殴りたい衝動にかられました。
しかし、続けざまに父親の口から出たのは「でも一番可愛がられていたのはお前やけどな」という予想外の一言だったのです。
◆そっか、私は愛されて育ったのか
父親いわく、長女である私は家族みんなにとって初めての娘であり孫であったため、とにかく周りがかわいがっていたのだとか。
その後も真面目な話を嫌う父親は珍しく私の幼少期の頃の話を続けてくれました。
「お前に手をかけすぎたせいで下の兄弟はほぼ野放しで野性的に育てていた」
「ブサイクかもしれないけど愛嬌があったから親せきや近所の人からは一番構ってもらっていた」
「旅行に行ってお前が体調を崩したときも、お母さんはお前に付きっきりで一日中ホテルにいた」
聞けば聞くほど、私がまったく覚えていない思い出話が出てくるわ、出てくるわ。
「他の家ではダメだったけど、お前には3歳からクレヨンしんちゃんを見せていた。あれはお父さんなりの教育であり愛情だった」という驚くほどどうでもいい話まで聞けました。
そして最後には「これがうちなりの家庭の在り方なんやで」と一言。その何気ない一言は幸せな家族というものに抵抗を感じていた私の心をちょっとだけ楽にしてくれるものでした。
幼少期の頃の思い出が悪いものばかりで、私は愛されていたのかと疑心暗鬼に陥っていた私。しかし今日の父親の話を聞くかぎり、少なくとも私は周りから愛されて育ってきたのだと思えたのです。
◆次は自分自身と向き合う番だ
父親とのさし飲みで忘れていた幼少期の思い出を聞けたのは、自分にとって本当に良い機会でした。とはいえ、いきなり「愛されて育ったから私も愛ある家庭をつくりたい」とはやはり思えません。人間そう簡単に変わることはできませんからね。
ただ「幸せな家庭で育った記憶がないから結婚願望が持てず、自分の子どもを愛する自信もない」という言い訳に逃げることはやめようと思いました。それよりもこの先、もしも自分に結婚願望や出産願望が生まれたら、もっと前向きに考えられるようになればいいな……と。まあきれいごとなのかもしれませんし、実際どうなるかはわかりませんけど。
とりあえず、私が家族の愛に対して抱いていたモヤモヤは多少なり解消された気がします。しかし、だからといって結婚願望が芽生えたわけではありません。まだまだ私が結婚したいと思えない理由は他にもたくさんあります。
そのためにも今度は周りの人ではなく“自分自身”と向き合っていこうと思った、酔っ払いすずやさんなのでした。
さて、前回もお伝えした通り、私の結婚願望が迷子であるのには育ってきた家庭環境、そして幼少期の両親との関係が関わっているのではないかと思い始めた次第です。
もしかすると私は、ごく普通の家庭で育ったにも関わらず、「家族って素晴らしい」という思い出が一切ないため、結婚や出産を通じて自分の家庭をつくることを躊躇しているのかもしれません。
それなら忘れているであろう幼少期の記憶を呼び覚まそう!そう決意した私は父親と久しぶりにサシ飲みに行くことを決意したのであります。
◆適当親父と自己中娘、不安だらけのサシ飲み開始
始めに誤解がないようにご説明させていただきますと、我が家はお酒が飲めない下戸体質です。酒好きなのは父親と私だけ。そのため今回は母親不参加につき、父親と私ふたりのサシ飲みとなったわけです。
とはいえ父親とふたりきりで飲むのは約半年ぶり。無駄に変な緊張感を抱きつつも、仕事終わりの父親と合流した私は昔から行きつけの地元の居酒屋へと向かったのでした。
「とりあえず生ふたつ」と注文をした後、静かに乾杯。……が、特に話すこともなく無言で飲み続ける父と娘。
それもそのはず。父親も私も生粋の“ひとり飲み大好き人間”であるため、たまに人と飲むとどうしていいのかわからないのです。キャバ嬢時代は仕事だからと割り切って会話もしていましたが、これがプライベートとなるとダメダメなんです。
また私たち親子は酒の場での真面目な話をとにかく嫌います。誰かが仕事論や人生論を熱く語り始めた日には、「やめてくれ、せっかくのうまい酒がまずくなる!」と思わず叫びそうになります。基本的に酒の席ではアホな話しかしたくないのです。
実際、この日もようやく父親が話し始めたと思ったら、最初に彼の口から飛び出た言葉が「この間のG1お前買った?ワシ万馬券当てたで」という競馬自慢でした。
「こんな適当親父とのさし飲みで幼少期の頃の話など聞きだせるのか……」
店に入って約5分。すでに私は漠然とした不安を抱き始めていたのでした。
◆まさかの幼少期エピソードが発覚!
とはいえ酒が進むと父親もそれなりに饒舌になり、聞いてもいないことをひとりべらべらと話し始めてきました。まあ、私もそれなりに酔っていたので父親が何を話していたかはほとんど覚えていないんですけどね。すまん、親父。
そして入店から一時間ちょっと。私は思いきって父親の前で幼少期の話を切り出してみました。
「私ってほんまブサイクな子どもやったよな」
……おそらく、今ほとんどの方が「お前何言ってんだ」と思われたことでしょう。しかし本当なのです。私は家族や親戚、近所の方からブサイクな子だと言われて育ってきたのです。祖母に至っては「ピンクの服がこんなに似合わない女の子も珍しい」と逆に感心していたくらいですから。
今思えば、私が自分をすぐに卑下し、コンプレックスの塊で生きてきたのにはこの出来事も多少は関係していたのかもしれません。
そんな我が家の鉄板ネタ「私はブサイクだった」話を切り出すと、すかさず父親も「まあ……かわいくはなかったよな」としみじみ語り始めました。自分で聞いておきながらなんですが、初めて実の父をビールジョッキで殴りたい衝動にかられました。
しかし、続けざまに父親の口から出たのは「でも一番可愛がられていたのはお前やけどな」という予想外の一言だったのです。
◆そっか、私は愛されて育ったのか
父親いわく、長女である私は家族みんなにとって初めての娘であり孫であったため、とにかく周りがかわいがっていたのだとか。
その後も真面目な話を嫌う父親は珍しく私の幼少期の頃の話を続けてくれました。
「お前に手をかけすぎたせいで下の兄弟はほぼ野放しで野性的に育てていた」
「ブサイクかもしれないけど愛嬌があったから親せきや近所の人からは一番構ってもらっていた」
「旅行に行ってお前が体調を崩したときも、お母さんはお前に付きっきりで一日中ホテルにいた」
聞けば聞くほど、私がまったく覚えていない思い出話が出てくるわ、出てくるわ。
「他の家ではダメだったけど、お前には3歳からクレヨンしんちゃんを見せていた。あれはお父さんなりの教育であり愛情だった」という驚くほどどうでもいい話まで聞けました。
そして最後には「これがうちなりの家庭の在り方なんやで」と一言。その何気ない一言は幸せな家族というものに抵抗を感じていた私の心をちょっとだけ楽にしてくれるものでした。
幼少期の頃の思い出が悪いものばかりで、私は愛されていたのかと疑心暗鬼に陥っていた私。しかし今日の父親の話を聞くかぎり、少なくとも私は周りから愛されて育ってきたのだと思えたのです。
◆次は自分自身と向き合う番だ
父親とのさし飲みで忘れていた幼少期の思い出を聞けたのは、自分にとって本当に良い機会でした。とはいえ、いきなり「愛されて育ったから私も愛ある家庭をつくりたい」とはやはり思えません。人間そう簡単に変わることはできませんからね。
ただ「幸せな家庭で育った記憶がないから結婚願望が持てず、自分の子どもを愛する自信もない」という言い訳に逃げることはやめようと思いました。それよりもこの先、もしも自分に結婚願望や出産願望が生まれたら、もっと前向きに考えられるようになればいいな……と。まあきれいごとなのかもしれませんし、実際どうなるかはわかりませんけど。
とりあえず、私が家族の愛に対して抱いていたモヤモヤは多少なり解消された気がします。しかし、だからといって結婚願望が芽生えたわけではありません。まだまだ私が結婚したいと思えない理由は他にもたくさんあります。
そのためにも今度は周りの人ではなく“自分自身”と向き合っていこうと思った、酔っ払いすずやさんなのでした。