結婚願望が迷子です~「幸せな家族像」を目の当たりにして恥ずかしくなった理由~

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みなさま、ごきげんよう。前回、友達家族とピクニックで大はしゃぎした末、三日ほど筋肉痛に悩まされることとなった元キャバ嬢ライターのすずや鈴音です。もはや結婚願望を探すよりも先にジムに通って体を鍛えた方が良いのではないかと悩むほど、自身の体力の無さを痛感しつつある今日この頃。
さて、子どもが大好きなのに出産願望を持てない自分に疑問を抱き、子どもとピクニックに行くという経験をしてみた私ですが、まだまだ明確な答えを見つけられずにいます。
そこで今回も引き続き、独身の私には知ることのできない“子どもがいる家庭のリアル”に迫ってみようと考えてみました。客観的に幸せそうな家族の姿を目にすれば、「こんな旦那様がほしい」「子どもを連れて遊びに行きたい」なんて思えるきっかけが見つかるかもしれません。
そこで私は日曜の昼下がり、ひとり近所の公園へと足を運んでみたのでした。
◆日曜の午前11時、ひとりベンチに腰掛けるアラサー独身女子

公園に到着すると早速、シートを広げてランチタイムを楽しむ家族の姿が目に入ってきました。また、少し離れた場所では愛犬や子どもと一緒に走り回るお父さんの姿も。一言で表すなら、まさに理想の休日。
少なくともベンチに腰掛けた瞬間、ハイボール缶片手に豪快に飲み始めるアラサー独身女子のすずやとは決して縁のない光景です。いや、でもおいしいじゃないですか。昼間から青空を拝みながら飲むお酒って。
そんなほのぼの光景に癒されながら、ハイボール片手に目の前で楽しそうに過ごす大勢の家族を見学し始めた私。
……ええ、一歩間違えれば確実に不審者扱いされます。しかし今の私にはやましい心など一切なく、これといって変なことをたくらんでいるわけでもありません。ただ遠目から家族の幸せの形を見て、世の家庭のリアルを知りたいだけなのです。
「だから誰も通報だけはしないでくれ」と神に祈る気持ちで、怯えながら公園のベンチでしばらく時間を過ごしていました。
◆心の底から生まれた「うらやましい」と「恥ずかしい」という感情
不審者に見られていないかと怯えながらベンチに腰かけていた私ですが、どうやらそのような気配はないようです。むしろ不審者どころか、誰も私の存在など気にしてねえ。もはや束の間の休日を楽しむ家族から見て、私の存在は空気でしかないようです。
そして足元に転がってきたボールを拾い、渡した子どもから「お姉ちゃんありがとう」と言われる。……なんて事前に思い浮かべていた妄想もむなしく、ボールどころか子どもたちの視線すら私のもとには向かってきませんでした。まあ、おかげでリアルな家族の休日を観察することができたんですけどね。
そんなほのぼのした時間をぼーっと過ごしているとき、私は自分の中にあるひとつの気持ちが生まれていることに気づきました。
父親と子どもが楽しそうに駆け回る姿と、それを微笑ましく見つめる母親。
その姿を見た途端、私の中に「うらましい。でもなぜか無性に恥ずかしい!」という謎の感情が生まれたのです。
◆「幸せな家族=ベッドシーン」という公式?
その後も幸せそうな家族の姿を見るたびに「うらやましい」と「恥ずかしい」と思う両極端の感情が自分の中を埋め尽くします。まだ「うらやましい」という感情は自分でも理解できます。でも「恥ずかしい」と思ってしまうのはなぜなのか?
そしてしばらく頭の中であれこれ考えていると、ひとつだけ思い当たる節がありました。
すずやはごく一般的な家庭で育ち、両親や兄弟仲も別に悪くはありません。ただ他の家庭と違うのは、家族全員が“家族愛”とか“理想の家庭”と言われるものを極端に避ける傾向があったのです。
たとえば家族で見ているドラマの中でちょっとエッチなシーンが流れると気まずい空気が流れるという話はよく聞きます。……が、すずや家は父親が任侠映画、母親がサスペンスドラマ好きということもあり、物心ついた頃からリビングでは頻繁にベッドシーンが流れていました。当然ちょっとやそっとのエロシーンが流れたくらいでは気まずい空気が流れることなどありません。
しかし「あなたを愛しているから」「あなたがいないと生きていけない」的な感動ヒューマンドラマが流れると、まあ恐ろしいほど家族全員が無口になります。そして気まずい空気に耐えられなくなった父親がすかさずチャンネルを変えるという流れになるのです。
そのような家庭環境で育てば、子どもなら誰もがこう思うでしょう。「家族を愛することって恥ずかしいことなのだ」と……。そしてそのような家庭で育ったためか、いまだに私はクサいセリフを吐く純愛ドラマや映画を見ると恥ずかしさから目を背けてしまいたくなります。私にとって“幸せな家庭”とはベッドシーン以上に恥ずかしいものだったのです。
◆「自分優先」の家庭環境が今の私の原点?

また、「子どもが好きだけど自分は生みたくない」「私のもとに生まれた子がかわいそう」という漠然とした悩みも追究していくうちに育ってきた家庭環境が関係していることに気がつきました。
先ほども述べたようにすずや家は基本的に仲良しではあるものの、家族全員が自分の人生優先という考えで生きてきました。まあ、さすがに母親は私たち子どもに手をかけ、それなりに苦労してきましたが、父親にいたってはもはやほぼ育児放棄。よくある仕事や付き合い優先で家族や子どもにはまったく興味を示さないというタイプの人間です。学生時代に私がグレてまったく家に帰らなかったときですら、すべて母親任せで自分は一切関与しない人でした。
とはいえそんな父親もたまには家族サービスをしてくれることもありました。特に幼い頃は年に数回、必ず家族で旅行に行くという決まりがあったため、父親もそのときばかりは休日返上で家族の時間を大切にしてくれていたのです。
でも、なぜか私の記憶には楽しい思い出よりも悲しい記憶の方が多く残っています。家族旅行に行って楽しかったはずなのにそれらの思い出はほとんどなく、覚えているのは渋滞に巻き込まれて苛立つ父親の横顔のみ。
……とまあ、ちょっとシケた話をしてしまいましたが、それでも私はここまで育ててくれた両親に感謝しています。
ただこのような環境で育ったため“幸せな家庭”は恥ずかしいものだと思い込み、家族よりも自分優先の父親を見てきたため私自身も気づけばなによりも自分優先という考えを持つようになったのです。おそらく、この考えが私の結婚願望や出産願望に影響しているのかもしれません。
そして同時に心のどこかで思っているのでしょう。「幸せな家族なんて幻想だ」「自分優先である私に子どもを愛せるわけがない」と。
◆父親に直接対決を申し込んでみた
幼少期の記憶や思い出が私の結婚願望と出産願望に関わっている。その事実に気がついた私は、思いきってある一大決心をしました。
「明日時間があれば飲みに行かない?」と父親にLINEを送り、さし飲みの約束をとりつけたのです。
果たして幼少期が影響しているという私の考えは正しいのか。それとも私自身が過去の記憶をねつ造して、結婚願望が持てないことを両親のせいにしているのか。その真相に迫るためにも私は明日、父親とお酒を酌み交わしながら語り合いたいと思います。
結果はいかに……トゥービーコンテニュー!(By,すずや)
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