悠仁さま成年式、「加冠の儀」にかなりの変化――「現代風に変更」された部分は? 

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 「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!
目次
悠仁親王、成年式で現代風に変更された部分は?
皇太子は庶民より2年早くお酒やタバコもOKに?
かなりの変化が見られた「加冠の儀」
「告文(つげぶみ)」が文語調から口語的に?
悠仁親王、成年式で現代風に変更された部分は?
――9月6日、悠仁親王殿下が19歳のお誕生日をお迎えになられ、皇室に代々伝わる成年式が執り行われたことがニュースになりましたね。 
 
堀江宏樹氏(以下、堀江) そうですね、悠仁さまがお召しになられた御装束は、平安時代にさかのぼる由緒ただしい伝統をもつものですから、成年式も「古式ゆかしく」的な論調で語られがちなのですが、守るべき要素は守られつつも、いろいろと現代風に変更されていたようです。 
 
 たとえば、令和4年(2022年)4月1日に民法が改正され、成年年齢が2歳引き下げられて18歳になりました。ゆえに本来、悠仁さまの成年式も18歳のお誕生日に執り行われるべきだったのですが、殿下が受験生だったことが考慮され、1年ずらして19歳のお誕生日に変更されたのです。皇族の方々の人生の節目に行われる儀式も、世の流れに沿って変化し続けているんですね。案外、柔軟に対応されていることがわかります。 
 
――それにしても悠仁さまのお父上の秋篠宮さま以来、なんと40年ぶりの男性皇族の成年儀式だったんですよね。 
 
堀江 はい。悠仁さまのお父上である秋篠宮さまや、今上陛下は20歳のお誕生日に成年式を行われています。ちなみに皇太子(あるいは皇太孫)だけは戦後、改正された皇室典範(いわゆる新典範)においても「成年は十八年」と明示されているのです。 
 
 つまり、世間一般、そして一般皇族にくらべても2年早く設定されていました。 その理由は、皇太子のお父上である天皇陛下にもしものことがあった場合、未成年で即位することにおなると、摂政という役職を置かねばならないので、その可能性を少しでも下げるためだそうです。 
皇太子は庶民より2年早くお酒やタバコもOKに?
 ――戦後、天皇陛下や皇族がたが直接的に政治にコミットしなくなってからも、やはり摂政を置かねばならないのですね……。素朴な疑問なのですが、一般より2年も早く成年を迎えるということは、皇太子や皇太孫は、庶民より2年早くお酒やタバコもOKになるということだったのでしょうか。 
 
堀江 それに対するお答えは「NO」です。お酒を例にお話しますが、まぁ、戦前においては、未成年皇族の飲酒ルールはわりと自由だったのかもしれません。 
 
 昭和天皇も5歳のお正月に、お屠蘇――大みそかの夜に日本酒もしくは味醂に、ケイヒやサンショウなどの香辛料を漬けてつくる縁起物の飲み物を小児科医から勧められ、飲んでみたところ、悪酔いして正月をずっと寝てくらすことになったそうな。それ以来、お酒は好んで口になさらなかったという逸話がありますね。 
 
 ……と話がズレてしまったのですが、すでに大正11年(1922年)に「未成年者飲酒禁止法」が制定され、「満二十年ニ至ラサル者ハ酒類ヲ飲用スルコトヲ得ズ」とハッキリ書いてあるため、たとえ皇太子(皇太孫)が18歳で成年を迎えたとしても、お酒やタバコを楽しむことはNGだったのです。 
 
 先日の悠仁さまの成年式においても、午後2時から行われた「朝見の儀」において天皇陛下と悠仁さまがそれぞれのお盃に注がれた「九年酒」を召し上がる所作をなさる場面があったのですが、「九年酒」といえども「酒」と名前についているだけ。「九年酒」の主原料はクロマメと日本酒、みりんを煮た汁で、宮内省によると「アルコール分は1%未満」だそうです(読売新聞、9月7日)。 
かなりの変化が見られた「加冠の儀」
――宮内省もマスコミからの疑問に答えられるよう、いろいろと苦心しているんですね……。 
 
堀江 ほんとうに。宮内省のYouTubeチャンネルでは、「朝見の儀」や「加冠の儀」の全体映像が公開されていますので、みなさんもぜひご覧になってください。悠仁さまのお姿や所作が優雅で、見惚れてしまいました。 
 
 ちなみに「加冠の儀」も、毎回、かなりの変化が見られるようです。たとえば悠仁親王のお祖父様に当たられる上皇陛下こと、明仁親王殿下(当時)の成年式は昭和27年(1952年)。お祖母様に当たられる貞明皇后(=大正天皇の皇后)が崩御なさった関係で、翌年に成年式を行ったのでした。 
 
 戦後は「政教分離」の原則――「政治と宗教を区別すること」が守られるようになったので、ちょうど上皇さまの代から、皇族の成年式の宗教性もなるべく薄めようと皇居内の講堂で儀式が行われるようになりました。戦前まで続いてきた一部儀式も省略され、それが現代の悠仁さまにも引き継がれたわけです。 
「告文(つげぶみ)」が文語調から口語的に?
――「加冠の儀」では、悠仁さまが両陛下へ「本日は成年式にあたり冠を賜り、誠にありがとうございました」とお伝えしていたのが印象的でした。 
 
 堀江 ここでのお言葉も代々でかなりの変化があります。 
 
 上皇さまのときは、ご両親である天皇皇后両陛下(当時)に「ここに礼を備へ、明仁に冠を加え賜ふ」にはじまる文語調の「告文(つげぶみ)」を朗読なさいました。上皇さまの時代にくらべると、かなり口語的というか平易になったことがわかります。 
 
 悠仁さまは両陛下の次に両親である秋篠宮ご夫妻へ「本日は、成年式を挙げていただき、誠にありがとうございます。成年皇族としての自覚を持ち、そのつとめを果たしてまいりたいと存じます」(読売新聞 9月6日夕刊)とお伝えしています。 
 
 やはりかなり平易になっているのですが、国民の大半が文語調の日本語を理解できなくなってきているから、それへの配慮でもあるのでしょうね……。ベースとなる内容自体は同じといえるのですが。 
 
――愛子さまの成年式ってどうだったのでしょうか? 悠仁さまの時のようになにか儀式があったのでしょうか? 
 
堀江 明治時代以降、女性皇族については成年に達したことを祝う儀式を公的には執り行わなくなったんですよ。だから、愛子さまの成年式は、悠仁さまのような「古式ゆかしい」儀式でお祝いすることはなかったのです。この点、同じ皇族なのに男女で待遇が違うのでは……という指摘もありました。この問題について、また次回、歴史的に考えていきたいと思います。 
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